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中目黒GTホールにおいての「ポーランドの日」

2009年4月4日
 
Przed wejsciem (Fot. JW) 東京の各所で桜が咲いた4月4日の土曜日、私たちは「ポーランドの日」の催しを見に来られた方々を中目黒GTホールで迎えました。 ポーランドにおける復活祭の儀式がこの式典の主題であったため、広間の入り口は巨大なイースター・エッグで飾られていました。 広間のテーブルには復活祭の飾りとしてネコヤナギの枝などのブーケやイースターバスケット、イーストのケーキや砂糖で作られた羊、染色・塗色・彫り込みされた多種多様な種類の卵がありました。ウォヴィッチ地方の模様を使って塗ったり、紙の雄鶏を貼り付けたりしたたまごも飾られてありました。東京都目黒区にある150人用の広間には主に日本人の方々で埋まりました。ポーランドとはまだ関わりのない人たち、ポーランド語で挨拶を交わしポーランドを訪れた人たち、数人のポーランド人の知り合い、見知らぬ人、 ブラジル人のグループを連れて来たポーランド系ブラジル人が訪れました。

最初にポーランドの大使のロドヴィッチ・ヤドヴィガさんが皆さんを迎えていただきました。

それから松葉盛重と間野ダヌタがポーランドとポーランドの復活祭の儀式についてお話をしながら、 ウォヴィッチ地方の民族衣装を纏ったハンナさんとクラクフ地方の民族衣装を纏ったモニカさんが近くに来訪した皆さんにネコヤナギとイースター・エッグを見せたりしました。
舞踊団「マズル」のダンサーたちは素晴らしい振り付けによってポーランドの踊りと永遠のヒットである「森へ行きましょう」で観客を喜ばせました。 この歌は日本の歌であると多くの日本人が思っていますが、実は違います。

お昼には私たちが作った昼食セット(ゆでた野菜のサラダ、詰めもの入りのゆで玉子、ソーセージ、 マズレクという復活祭の伝統的なケーキと蜂蜜入りスパイスケーキ)を観客が買うことができました。早く残らずに皿から消えていたので、 非常に口に合ったと思われます。
ソブコヴィアク・ミハウ演奏のショパン・コンサートのときには東京・山手線のピークの時間のように人でぎっしりになりました。

ポーランド観光協会代表のワタ・マリウシュがポーランド観光についての面白い話は披露し、皆さんの関心をひきました。メモをする人までいました。

熊倉ハリナによって行われたポーランド語のレッスンでは、ポーランド語の難しい言葉を声を出しながら繰り返すとき、 集まった人は生き生きと練習していました。

プログラムの最後の項目は、小寺隆幸さんのオポレ市滞在のビデオ鑑賞とその思い出の話でした。

中目黒での「ポーランドの日」は大きな興奮をもたらした宝くじで閉めくくりました。

お別れの挨拶を交わすとき、参加者の皆さんからは「とても楽しい催しだった」と心からの感謝のお言葉をいただきました。 日本人の方々が私達によって用意されたものに大きな関心を示したことにも私達も満足しました。 身に纏った我々の民族衣装への興味は予想外のものでした。 性別や年齢に関係なく皆さんがウォヴィッチやクラクフや山岳地住民の民族衣装を身に纏った女性と写真を撮りたかったのです。 ウォビッチ市のスタニシェフスカ・アンナさん作のウォヴィッチ地方民族衣装はとても目をみはりされて、ポーランド民芸の珍品として撮影されました。 ウォヴィッチの民芸芸術家フロンットチャク・バルバラさんが装飾したイースター・エッグも同様でした。

会場を去った訪問客の皆さんは、印象深い催しに満足していたそうです。それは私達にとって4月の企画が成功で終わった証しでもあります。

「ポーランドの日」は、日本におけるTAMAのメンバーのヤノヴィアック・リディア、風張ハンナ、コモロフスカ・村岡モニカ、熊倉ハリナ、 間野ダヌタ、松葉イレナ、松葉盛重、鈴木マウゴジャタ、ヴァン・リーッド・エヴァ、 福島アリナおよび在東京ポーランド大使館とMIFAの協力によって開催されました。
皆様のご協力にお礼を申し上げます。特に企画立案や催しの構成の仕事でグラバルチック・グジェゴシュ領事さんと夫人のグラバルチック・ヨランタさん、 またMIFAの加納美帆さんにはご尽力いただきました。
写真:ヴィチニスキ・ヤツェク

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