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Forum Polonijne TAMA w Japonii
ポーランドの子どもたちのキャンプに参加して
「母と子」2002年3月〜4月号より
2.旅を通しての成長の物語 P3
小寺隆幸(中学教員)
〈真夜中のマルボルク城〉
21日、グダニスクから列車でマルボルクに行き、ヨーロッパで最大の古城を見学しました。そしてその夜遅く、キャンプを締めくくるセレモニーが城の裏の広場で行われたのです。実はこの日の朝の会で突然娘の萌が前に呼ばれ「キャンプに2回参加し、いつもスマイルで頑張った」と書かれた参加証とスカウトの制服をいただいていました。本当に思いがけないことだったので、萌も私も驚きと喜びでいっぱいでした。これはこの夜のセレモニーに皆と同じ服装で参加させたいというヤーツェクの配慮だったのです。
零時、満天の星の下でキャンドルが灯され、13世紀の古城での夜の会が始まりました。静寂の中で子どもたちの歌声は何と荘厳に響いたことでしょう。そしてヤーツェクがキャンプでのみんなの成長を振り返りながら、特にその中で努力したウクライナの13歳の少年ゲ−ネクと最年少のカミーラを称えました。二人の喜びにあふれた顔、そしてみんなの心からの祝福が感動的でした。〈実は前夜のリーダーミーティングで誰を表彰するか1時間かけて話し合い二人が選ばれたのでした。〉
翌日私たちは再びグダニスクに戻り、「連帯(ソリダルノシチ)」発祥の地、グダニスク造船所内の資料館を見学しました。そこで子どもたちは1980年のこの造船所の労働者によるストライキとその勝利、その翌年12月に布かれた戒厳令下の軍の映像を食い入るように見ていました。その姿からは、大きく社会が変りつつある中で自分たちのよりどころを求めようする強い意志が感じられました。
キャンプの最後は実にハードでした。グダニスク市内で夜まで自由行動の後、夜行列車で早朝カトビツェへ。列車を乗り換え、「パンの博物館」へ。見学後また列車を乗り継ぎ、オポーレに着いたのは夕方5時でした。オポーレの子たちは23日ぶりに帰宅。ウクライナとリトワニアの子らはさらに1−2泊ホームステイし、再び列車やバスで10数時間かけて帰国していったのです。
でも子どもたちは誰一人病気になることもなく、元気にキャンプを終えることができました。彼等の国々は今大きな社会的変化の只中にあります。そこで彼らにとってこの旅は、歴史と現在を見据えながら自分のアイデンティティを問い掛ける旅だったのではないでしょうか。それがヤーツェクがこのコースを企画したねらいだったのでしょう。そして外から参加した私たちも、生活や文化に根ざした平和や自由のためのしなやかな戦いの事実を知り、多くの事を考えさせられました。
帰国して2週間後にアメリカでの同時多発テロが起こり、その後アフガン空爆が始まりました。ヴェステルプラッテでの平和への願いはこのような現実の前にはあまりにも小さなものですが、でもメールや手紙でヤーツェクや子どもたちとのやり取りが続いています。そしてあの千羽鶴が彼等の心の中で消えることなく、平和への願いが彼らの周囲に少しづつ広がっていくだろうと信じています。
マルボルクにて
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