〈平和への願い〉
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11日の夕方に折り紙教室を開きました。鶴をはじめいくつか紹介したのですが、みんなすぐにマスターしていました。特に最年少のカミーラとゴーシャの二人の女の子はその後も時間があるといろいろな折り方を教わりに来ました。英語は全く話せない二人ですが、人懐っこく積極的でした。
さてその夜のリーダーミーティングでゾーシャが貞子さんの折り鶴のことをみんなに紹介してくれました。実は2000年夏に私たちはゾーシャを日本に招き、一緒に広島を訪ねたのです。そして原爆の子の像の前でお会いした被爆者の山岡美智子さんは、「遠くからよくきてくださいました」とゾーシャの手を握って喜んでくださいました。そんなことがあってゾーシャは佐々木貞子さんの本も読んでいたのです。
その夜の話し合いの結果、平和への願いを込めて千羽鶴を皆で作り、キャンプの終盤に訪れるヴェステルプラッテの慰霊碑に捧げることになりました。ここはグダニスク近郊のバルト海に面した要塞で、1939年9月1日ドイツの軍艦がここを砲撃して第二次大戦が勃発したのです。わずかな守備兵は果敢に戦いましたが全滅しました。ヴェステルプラッテはポーランドの人々にとっては抵抗の象徴なのです。
その後数日間、休憩時間にみんなで鶴を折り、大きな千羽鶴を作りました。それを持って20日にヴェステルプラッテを訪ねました。小さな資料館には戦った兵士の写真や銃などが展示され、砲弾により破壊された廃墟が今も残っています。それを見下ろす丘に大きなモニュメントが作られています。眼下の入江には船が浮かび、クレ−ンが林立しています。碑にはNIGDY WIECEJ WOJNY(NO MORE WARS)の言葉が刻まれています。その正面に千羽鶴をつるし、皆でヤヴィエム(アメ−ジンググレ−ス)を歌い、黙祷しました。千羽鶴につけた赤と白の帯にはポーランド語と日本語でこう記しました。
[平和を願って ヴェステルプラッテから広島・長崎にいたるすべての犠牲者のために
2002,8,20 オポーレ、リトワニア、ウクライナ、日本の若者より]
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ヴェステルプラッテ
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ヴェステルプラッテの千羽鶴
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〈子どもたちの成長〉
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キャンプの中で子どもたちの同士の問題がなかったわけではありません。リーダーたちの悩みの種はウクライナの11歳の男の子エデックでした。同じウクライナの男の子に悪口を言っているようなのです。私にはそんなに意地悪をする子には見えなかったのですが、いろいろなことがあったようでしばらくスカウトの制服を取り上げられていました。誇りを重んじる彼らにとって、これはかなりな罰に違いありません。ただエデック自身はあまりこたえている風でもなく、遊びまわっていましたが。
しばらくして罰を解除するかどうかがリーダーミーティングの議題となりました。賛否両論の中でエデックの口から反省を聞こうと寝ていたエデックを呼びました。そしてヤーツェクが優しく話したのですが、彼は何も言わずしくしく泣くだけでした。ヤーツェクは「いつも泣くが何にも変わらない。私たちもどうしたらいいか困っている」と率直に語りました。私も意見を求められたのですが、「罰よりも励ましの方がその子を変えるのではないか」と一般論を言うことしかできませんでした。リーダー達は「それは正しいがしかし…」と夜遅くまで議論していました。妻は「エデックのような子は今までスカウトにはいなくて対応の仕方がわからないのだろう。エデックをどう育てるのかを話し合う必要があるのでは」と感じていました。
議論はポーランド語でよくわかりませんが、キャンプの生活面での指導もほとんどリーダーに委ねられていたようです。ヤーツェクも意見をいいますが、最後はリーダーの多数決で決まっていました。真剣に、時には興奮してのやりとりが1時間以上も続くのが印象的でした。キャンプを通してリーダー達も成長していくのです。結局エデックはしばらくしてから制服を返され、やはりうれしそうでした。
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